それから間もなく、由香里は以前お世話になっていたバーのマスターから「急に人手が足りなくなってしまったから、短期で手伝ってくれないか」と頼まれる。彼女は大学時代からそのバーで働いていたこともあり、断りきれずに短期間だけ手伝うことを決めた。

さらに、新たな展開が待っていた。最近のバーの常連客であり、IT企業の成功者である山田社長が由香里に目をつけた。彼はすぐに由香里に興味を持ち、昼間のアルテミスキングスにも訪れ、大量の商品を購入していくようになった。そして、「一度食事でもどう？」と由香里を誘い始めた。

山田社長は、タケルとは全く違うタイプの男性だった。40代半ばで独身、イケメンで高学歴、高収入。

その話を聞かされ、タケルは彼に対して強いコンプレックスを感じていた。自分がどれだけ努力しても、山田社長という「完璧な男」に勝てるのか、という疑問が頭をよぎった。

バーのマスターも「せっかくだから山田さんと食事に行ってみたら？」と由香里に勧めており、由香里は少し迷っている様子だった。タケルは由香里が山田社長と食事に行くことを止められない状況に、焦りと苛立ちを感じた。

そんな中、タケルは会社から昇進の打診を受ける。今までの努力が実を結んだ瞬間だったが、条件には一つ問題があった。それは札幌への転勤だった。

タケルは札幌への転勤を受け入れるべきか、それとも由香里との関係を優先すべきかで迷い始めた。札幌に行けば、今の関係は一旦途切れてしまうかもしれない。しかし、やっと実り始めた仕事での成功を捨てるわけにもいかない。由香里にはまだ山田社長というライバルがいる中で、タケルは彼女に札幌転勤のことをどう伝えるべきか、頭を悩ませていた。また、山田社長という存在がタケルの自信を揺るがしてもいた。

「俺がどれだけ頑張っても、山田社長には勝てない…」

タケルはその不安と共に、自分を納得させようとしていた。もし由香里が山田社長に魅力を感じているなら、自分がいくら努力しても無駄かもしれない。だが、同時に、彼女を諦めたくないという気持ちも彼を迷わせていた。

ある夜、タケルは覚悟を決め、由香里に札幌への転勤の話を打ち明けた。彼女は一瞬、言葉を失い、ショックを隠せない表情を見せたが、やがて微笑みを浮かべた。

「タケル君、すごく頑張ってるよね。痩せて、仕事にも本気で取り組んでるし、服装もお洒落になってる。本当にすごいと思う。応援してるよ。」

彼女の言葉は、タケルにとって何よりも嬉しかったが、その裏に隠された寂しさも感じ取れた。彼女の微笑みは無理をしているように見えたが、タケルはその違和感を押し殺し、自分の選択を信じることにした。

「ありがとう。でも…これが俺にとってベストな選択だと思ってるんだ。」

タケルはそう言いながらも、彼女との別れが心に深く残るのを感じていた。

転勤が正式に決まった後、タケルは引っ越しの準備を進めながらも、由香里への未練が頭から離れなかった。彼女と一緒にいたい気持ちは強かったが、現実的に山田社長のような存在に勝てる自信はなかった。彼は自分に言い聞かせるように、「由香里も山田社長のような成功者に惹かれているはずだ」と思い込もうとした。

ある日、タケルは最後に由香里に会うため、食事に誘った。心の中にある未練を隠しながら、彼は自分の気持ちを軽く伝えようと決めていた。

「由香里、俺、札幌に行くことになるけど…山田さん、いい人だよね？もし誘われたら、行ってもいいんじゃないかな…」

その言葉を聞いた瞬間、由香里の顔がこわばり、驚きと怒りが混じった表情でタケルを見つめた。

「何言ってるの？本気でそんなこと思ってるの？」

彼女の声には明らかに怒りが含まれていた。タケルは戸惑いながらも冷静さを保とうと努めた。

「いや、俺は…ただ、山田さんはすごい人だし、由香里にふさわしいかもしれないって…」

だが、由香里はすぐに彼の言葉を遮り、怒りを露わにした。

「そんなこと言わないで！私が誰と食事に行くかなんて、タケル君が決めることじゃないでしょ？私はタケル君に頑張ってって言ったのに、どうしてそんな風に突き放すの？」

由香里の声が大きくなるにつれ、タケルは自分の言葉が彼女を傷つけたことに気づいた。しかし、どうしても心の中の不安や劣等感を消すことができなかった。

「ごめん…俺は、君のことを思って言ったんだ。でも、やっぱり自信がないんだ。山田さんのような人には俺、勝てないよ…」

タケルの正直な気持ちを聞いた由香里は、一瞬沈黙した後、静かに席を立ち、店を出て行った。タケルはその背中を追いかけることができず、ただ見送るしかなかった。